Be simple, Be direct..
Keisuke Fukase.
Keisuke Fukase.
スピリチュアル・ドリーミング(SD)はあなたの魂の輝きを描いた絵です。この絵はあなたの魂の絵本であり人生の癒しのプロセスであり、同時に生命エネルギーとのつながりでもあります。
SDに描かれているのは「あなたの魂の特性」や「スピリットとあなたの関係」です。多くのSDには本人の象徴である「聖なる子」が描かれています。「聖なる子」の表情や姿勢、持ち物などは読み解きのヒントとなります。
ある時は「聖なる子」が複数描かれることもありました。それが何を意味するのかを知るには、本人が自らの内面とじっくりと向き合う必要がありますが、神聖な絵であるSDにネガティブなメッセージが描かれることは決してありません。
魂の特性とは「霊的な姿勢」のことであり、それは「スピリットとの関係」のことです。あなたの魂には大いなるスピリットとのバランスを取る姿勢があります。それが魂の特性です。
魂とスピリットのバランスが悪いと、病気や不幸などのさまざまな苦しみが人生に現れます。スピリットとのつながりに意欲を持つことで特性は上手く発揮され、バランスが取られることで健康や平和になります。
バランスを取る力はスピリットにあり、その力のことを私は「スピリットに導く」という意味でガイドと呼んでいます。「癒し」というのは、ガイドによってバランスが取られる過程のことなのです。
その魂の自然なバランスというのは、ストレスがないということだけではなく、ガイドによって人生が幸福で満たされているということです。SDはガイドを通して描かれていますので、そこにはあなたの魂とスピリットの良い関係が描かれているのです。
現在は地元の宮城だけではなく、東京、名古屋、大阪、京都、岩手、沖縄でも描かせていただき、さまざまな方の魂の輝きと出会うことができています。皆さまにご健康とご発展がありますように祈りながら、これからも描き続けます。
↓ご予約はこちらからお願いいたします。
http://hiyori-yamato.com
★「自分」を超えた大いなる何か…ガイドとつながって絵は半自動的に描かれます。ガイドとつながるのには特に儀式など必要なく、あなたが目の前に現れるほんの少し前から始まります。
★80分ぐらいですが、90分近く描いていることもあります。途中お手洗いなどに行かれても大丈夫です。その場合は絵は止まっています。
★集中しているように見えても、絵描いている間は人生相談からスピリチュアルな疑問などご自由にご質問ください!
★録音も可能ですが、何もご質問をいただいていないとお話しすることはないかもしれませんのでご注意ください。
★絵には意味はあるのでようが、その意味を真に受け取ることができるのはご本人しかいません。絵には情報だけではなくエネルギーもありますので、意味は分からなくても“感じる…”という人もいらっしゃいます。
★絵の読み解きにはお時間がございませんが、描いている間にご自身のお話しをされていると私が描いている絵の意味が分かることもございます。
★最後にタイトルを絵に書きます。絵が完成に近づくと、お客様のハートの前の空間にアルファベットで絵のタイトルが輝き出します。殆どがイタリア語かラテン語ですので、私はその文字をスマートフォンの辞書を使って調べます。
★描き終えた絵はお客様に直接触っていただきます。お客様に触っていただくことで絵のスイッチが入るようです。一瞬で色が変わったというお話しをいただくこともございますが、私には絵のオーラがパッと明るく広がるように見えます。最後に絵は額装してセッションは終了となります。
★絵はできるだけ日常的に見てください。スマートフォンの待ち受け画面にされている方もいらっしゃいます。見ているうちに意味が分かってくることもありますし、分からなくても日常に楽しい変化が現れてくることがあります。 その場で作ったお話しでも良いですので、お友達に絵の説明をしてみるとご自身で隠された意味に気づかれることが多いようです。ドリーミング・セラピー・カードを使って絵についてリーディングされるのも良いヒントとなります。
SDにはあなたの魂の神聖なバランス「特性」が描かれています。魂の特性で生きるようになると、素敵な出会いがあったり、ワクワクするような新しいアイディアを受け取ったり、幸運に恵まれ始めたりします。
これは、あなたがガイドに従って目覚めの道を歩み始めたことによる変化です。本人に自覚があってもなくても、SDを見るということは自然なかたちでスピリットに目覚めていくことになります。スピリチュアルに興味が出て来たり、自然が多い場所に行きたくなったり、それまで信じて来たことを超えて真実を知りたくなったり、人生の本質的なテーマに気づき始める人が多くいます。
「SDを描いた次の日の朝に片思いで長く会っていなかった相手から突然連絡があった」や、「前に占い師に聞いた話しと一致していて謎だったことが分かった」や、「ビジネスで新しいアイディアが浮かんで成功した」ということもあったようです。
不思議なお話しもとても多く、「タイトル文字が消えた」や、「描かれたシンボルが現実で様々な所に現れて来た」や、「偶然SDに描かれているのと同じような場所に行った」や、未来予知やエネルギーヒーリングなどが出来るようになったという報告も頂いています。頭では理解できなくても「心で感じる」という体験をしている人も多くいます。
ガイドは「SDを理解しなさい」と命令はしません。そうではなく、知らないうちにスピリットとのバランスが取れるように働きます。SDを描いたり見たりするということは、「私はガイドを受け入れます」という意思表示なのです。この意思表示は別な表現で「祈り」といいます。
何枚も描いている人は「何度も祈っている」ということになります。また、「SDを見る」ということは、あなたの魂が自らの特性を再認識するということにつながっています。さて、あなたには何が起きるのでしょうか、どのような変化があるのでしょうか…毎日SDを見ながらワクワクして下さい。
SDに描かれているのは「あなたの魂の特性」や「スピリットとあなたの関係」です。多くのSDには本人の象徴である「聖なる子」が描かれています。
「聖なる子」の表情や姿勢、持ち物などは読み解きのヒントとなります。ある時は「聖なる子」が複数描かれることもありました。それが何を意味するのかを知るには、本人が自らの内面とじっくりと向き合う必要がありますが、神聖な絵であるSDにネガティブなメッセージが描かれることは決してありません。
魂の特性とは「霊的な姿勢」のことであり、それは「スピリットとの関係」のことです。あなたの魂には大いなるスピリットとのバランスを取る姿勢があります。それが魂の特性です。魂とスピリットのバランスが悪いと、病気や不幸などのさまざまな苦しみが人生に現れます。
スピリットとのつながりに意欲を持つことで特性は上手く発揮され、バランスが取られることで健康や平和になります。バランスを取る力はスピリットにあり、その力のことを私は「スピリットに導く」という意味でガイドと呼んでいます。
「癒し」というのは、ガイドによってバランスが取られる過程のことなのです。その魂の自然なバランスというのは、ストレスがないということだけではなく、ガイドによって人生が幸福で満たされているということです。SDはガイドを通して描かれていますので、そこにはあなたの魂とスピリットの良い関係が描かれているのです。
ドリーミング(Dreaming)とはオーストラリア先住民「アボリジニ」の哲学を表す言葉です。それは世界の始まりから存在する精霊たちが自然界のすべてを創造し、生きるもの全ての祖先となったというアボリジニの神話に基づいています。精霊とは万物に宿る魂のことです。
ドリーミングは、あらゆる生命や物や場所には「記憶と力と魂」が宿っているという考え方であり、現代風に言い換えれば世界の全ては「情報とエネルギーと意識(想念や記憶)」によって成り立っているということになります。
ドリーミングをテレビ番組でたとえると、「情報」は放送されている番組、「エネルギー」は番組を配信している電波。「意識」は番組を作っている人たちや見ている本人です。
ドリーミングというのは魂が夢を見る力のことです。全てはドリーミングですから絵画もドリーミングです。スピリチュアル・ドリーミングには神聖な魂の情報だけではなく癒しのエネルギーもありますし、大いなるスピリットもつながっているのです。
人生において特性は変わりませんが、その時々でエネルギーや情報の表現は変わります。それは一枚目の絵を見たことでその人の意識が変わったからのようで、特性の現れ方や活かし方が変わったことによります。あることに気づくと、それに気づかなかった前と後では人の意識は変わるものです。毎日見る、日々思い出すことにより、自らの在り方が整えられて「愛と命と光」が蘇ります。そうなると、癒しのプロセスが始まって次のステージがやって来ます。こうして、次のSDが描かれた時には絵が変わるようです。
私には、多くの絵は三枚で一つの物語として表現されているように見えますが、三枚以降も物語が続いている人もいました。絵のつながりは人それぞれで、横や縦につながったり、一つのモチーフが変化していったり、もっと奥の場面になったりと、物語が進んで行くようにも見えます。また、物語としてのつながりは見られなくても、その人のさまざまな才能やその時の状況などが描かれることもあります。
絵が終わる頃には相手の胸の前あたりにアルファベットが現れます。それは絵のタイトルですが、多くはイタリア後かラテン語です。その理由は詳しくは分かりません。タイトルは目を閉じてもボヤッと見えるため、どうやら私のインナービジョン(内的視覚)に現れているようです。アルファベットは絵が終わりに近くなるほどハッキリと見えて来ます。アルファベットが読めるようになったらSDは出来上がりです。
人の魂だけではなく「場所」にも聖なるドリーミングがあります。ある時、SDのイベントでお世話になっている店内の聖なるドリーミングが見えていることに気がつきました。人のSDにはその人の魂の情報や霊的な特性が描かれるようですが、場所のSDにも霊的な特性が描かれるようです。
場所の特性とは、そこにいる人との霊的な関わりのことです。場所には、そこにいる人の「想い」によってドリーミングが記録されますが、その「想い」がガイドとつながった神聖なものであった場合に聖なるドリーミングとなるようです。その場所に聖なるドリーミングがあるということは、そこにいる人が自らの特性を生きているという証でもあります。何度かSDを描いている場所は神聖さが強くなって来るようで、そこには聖なるドリーミングも現れてきます。
ある場所に対してネガティブな思いを持つと、その場所にネガティブな「想念」が落書きされた形になります。人に何度も何度も思われ続けると次第に「想念」は強化されていきます。逆にポジティブな「想念」が溜まった場所というのもあります。そこは人工的なパワースポットになります。
その場所は、もともと人に対して良い影響を与えるドリーミングがあったということも考えられます。景色が良かったり、空気や良かったり、気持ちが良い場所に行くと人はポジティブな気持ちになりますから、そういう場所にはポジティブな「想念」が溜まってパワースポット化することはよくあります。
「仕事」にも聖なるドリーミングがあります。ガイドにとって「仕事」というのは「お金を稼ぐこと」ではなく、あなたの魂がスピリットへ目覚めるための「愛の拡大」です。何かを行おうと思って計画することは、魂にとっては想念を発して体験を作り出す「ドリーミング」です。
あなたの人生というのは、あなたの魂によって夢見られた(ドリーミングされた)体験なのです。ドリーミングとは「情報とエネルギーと意識」が一つであるということです。「意識」を持てば「情報とエネルギー」が生じます。
人の想念というのは「意識」を持つということです。「ふと頭に浮かぶ」や「少し気になる」という弱い「意識」にも「情報とエネルギー」が生じますが、「仕事をしよう」という想念は強い「意識」ですから、そこには強い「情報とエネルギー」が生じます。大切なことは、その想念の源泉は何なのかということです。
「お金がないと不安だ」、「親から嫌味を言われるのが嫌だ」、「自己価値がないから人から認められたい」という恐れが源泉であれば、それはあなたが体験している世界に対する「恐れの拡大」となります。べつに悪いことではありませんが健康的ではありません。逆に「多くの人に楽しさや感動を届けたい」、「人を助けたい」、「感謝して誠実に生きたい」という「愛」が源泉であれば「愛の拡大」となります。人は自らが拡大したものを体験することになります。
「愛の拡大」というのはガイドとつながって仕事をするということなので、その結果は健康や至福の体験となり、やがてスピリットに目覚めていきます。仕事では「何をやっているのか」ということよりも、「どのような想いで行っているのか」ということが大切なのですね。
ガイドはSDをあなたの平和と健康と幸せのために送ります。SDを読み解くのも楽しいことですが、SDを通してガイドが送り続ける「愛と命と光」をただ受け取っていくのも素敵なことです。難しく考える前に大いなる導きを信頼することが大切です。SDは神聖なあなたの記録ですから、絵を思い出そうとするということは、同時に神聖な「自己」を思い出そうとすることでもあります。
SDで何が得られるか、どんな変化があるかは人それぞれですが、あなたの癒しの道において必要なものが与えられていくことを信頼して下さい。それはSDを信頼するというよりも、ガイドを信頼することですし、神聖な「自己」を信頼することです。
どのような人であってももとから常にガイドとつながっているのですが、そこにどう気づくか、どう感じ取るのか、というのには視点の変化が必要かもしれません。
怯えた視点で世界を捉えれば、あなたは恐ろしい世界を体験するでしょう。そして、被害者としての自分の正しさを何度も主張して防衛しなければならないと考えてしまうかもしれません。
「愛」の視点で世界を捉えれば、あなたは平和な心を思い出すでしょう。その平和の中であなたは、本当にやりたいことや自然な在り方に気づいて「愛の拡大」を始めてしまうでしょう。
いつか、あなたはSDとのつながりによって視点が変化したことに気づくかもしれません。否定的に捉えてしまう考え方から肯定的な捉え方へ、そして否定でも肯定でもないありのままの捉え方に変わってくるでしょう。やがて本来の「自己」という自由な在り方を思い出していきます。
スピリチュアル・ドリーミングはその人の魂の輝きを描くので、何か悪いことが起きるような不吉な絵を描くことは決してありません。もし、絵のモチーフに恐ろしい何かを見ているのなら、それはあなたの影(shadow)という「抑圧された想念」です。人は、ガイドの顔にも自らの影を貼り付けて、恐れを抱くことがあります。自らの心の奥にある罪悪感や恐れがそれを見せるのです。
抑圧は誰にでもあるもので、それを知って受け入れて癒そうとしている人と、否定して切り離している人では表面意識での反応は大きく変わります。癒そうとするなら、ゆるして、手放していますから、ガイドに対して偏見も恐れもないでしょう。
逆に否定して切り離そうとするなら、抑圧のエネルギーはもっと強くなるために、怒りやすくなり、落ち込みやすくなり、感謝を感じることもなくなり、そのように生きているとガイドなど信じられないし、信じていないくせに恐れるでしょう。そうやって自らの心の影を他人に貼り付けて、「その黒さは自分にはない、自分ではない」と言い訳します。
ここでハッキリと言っておきますが、“黒”という概念を持つことができるのは思考の中だけです。目を閉じても“黒”を体験することはできません。「目を閉じたら真っ真っ暗だ」とは言いますが「真っ黒だ」という人は自分の観察力を疑った方がいいでしょう。
アリストテレスの「自然は真空を嫌う」と同じで、意識は“真っ黒”を嫌います。目を閉じても白いモヤや光の粒々など見えているでしょうし、時間が経てば夢の中に入ります。例え目が見えなくなっても“真っ黒”というのを体験することはできません。見るという概念がない世界で生きているなら、そもそも“真っ黒”も体験できません。肉体が死んだら「自分の肉体を上から見ている」という死後の体験をしている人もいるようですので、死んでも“真っ黒”を体験できないということです。
ガイドはあなたの影を描くことは決してありません、それはガイドには影を見ることは出来ないからです。なぜなら、あなたは影ではなく、「愛と命と光」だからです。絵を影として恐れるなら、それは紛れもない混乱したあなたの視点です。混乱していないのであれば、あなたも自らの「愛と命と光」を見るでしょう。
水は私たちの意識との相性がとても良く、ドリーミングを伝達、記録、保持するのに最適な媒体です。また、水はガイドとのつながりをスムーズで強くしてくれます。
私たちは大いなるスピリットと癒しの力でつながっています。その力はサムシング・グレートや聖霊や般若などさまざまな名で呼ばれていますが、私は単にガイドと呼んでいます。よく「深瀬さんのガイドさんですか?」と質問を受けますが、ガイドに人格はありませんし分離もしていないので「誰の」という概念はありません。
ガイドを例えるなら地球と私たちをつなげている重力のようなものです。重力は見えなくても私たちが地球から離れないように常に働いています。私たちの身体は地球の重力に従って進化しました。重力に逆らってもいいのですが苦しいです。身体にとっての自然でバランスがよい姿勢というのは、地球の重力との関係が良い姿勢です。
同じように、魂の自然でバランスが良い在り方というのはガイドとの関係が良い在り方です。それはつまり、魂にとっての本来の在り方というのはスピリットであるということを表しています。このことを思い出させるのがガイドの作用で、「私はスピリットなのだ」と思い出すことを「目覚め・霊的覚醒」といいます。
「我思う故に我あり」という考えは「自我」といいます。そして、自らが何者なのかというのを他者との違いによって理解しようとするのは、「分離によって自らを知る」という意味で「自分」といいます。ガイドに従うとスピリットという本来の在り方を思い出しますが、それは「自己」といいます。「自我」は考え方、「自分」は「自我」によって作られた概念、「自己」は存在自体のことです。「自己概念」という言葉は「本来は概念ではない自己に対してあえて作った概念」という意味になります。
あなたが自らをどのように捉えるのかは自由ですが、多くの人は肉体や思考が「自分」だと思っています。ガイドに従うと本来はスピリットだったと思い出します。
重力のように見えない力であるガイドにはそもそも声も姿もありませんが、SDの中では太陽のような光や聖なる動物や優しいお母さんや威厳がある賢者のような「愛と命と光」の象徴で表現されることがあります。それはあなたの魂がどのようにガイドとつながっているのかを表現しています。SDは、あなたが本来の「自己」へと戻るためにガイドが与えてくれた絵です。どのような使い方をされても、どこに飾ろうとも複製を作るのもあなたの自由です。
小さい頃は絵が好きだった訳ではなく、ただ「自分が見ているものを他者に確認したい」という思いから描き始めました。「光の存在」たちはいつも側にいて、それが生まれた時から普通でした。
彼らは霊と魂やガイドとのつながりについて教えてくれていましたが、中学の頃になると彼らの教えは学校の勉強には使えないことを知りました。それから優秀な「普通の人」になろうと努力して気がつくと四十を過ぎていました。人は特性を生きていないと鬱っぽくなります。
ある日、白い紙を前にしてペンを持って何を描くわけでもなく静かに座っていたら、それまで抑えていたインナービジョン(夢)がよく見え始めました。右手の感覚が軽くなり、気がつくと絵が描かれ始めました。これがスピリチュアル・ドリーミング(SD)の始まりでした。その頃から夜には夢の中で「ガイドの授業」が始まりました。
SDはオーラの景色ではありません。オーラにも「情報とエネルギーと想念」はありますので、それを見ることはできますがSDは描けません。魂の神聖さはこの世界を超えた場です。そこにはガイドを通してつながらなければいけません。ガイドとつながると私の個人的な意識は弱くなります。そのため絵は半自動的に描かれますし、描いているものが何かも分からなくなります。神聖な記憶は保てますが出会った人や描いた絵は忘れていることが多いです。
2016年の春、バッグ職人だった母から「借りていたギャラリーが空いたら絵の展示会でもやらないか」と誘われて、そこで初めて会場に来た人の絵を描き始めました。「意味が分からない絵を誰が望むだろうか」と思いましたが、なぜか口コミで広がり、今はSDの他にも講座やリトリートを通して「ガイドの授業」を多くの人と分かち合っています。私の魂の特性は「ガイドの授業」を表現することだったのです。あなたは自らの魂の特性を生きていますか?